梅雨前線の大雨予報が心配されたが、鎌倉駅スタート時には曇り空の中、風は強いもの日差しがでてきました。我々の行いが良いせいかな?
鎌倉駅からバスで東泉水で下車し、朝夷奈歴史ロマンウォークのスタートです。
バス停のそばにある足利公方邸蹟の石碑をぬけて、梶原井戸へ向かう途中に芝生の中に巨大なクジラの彫刻が設置されている場所がありましたが、石丸雅通氏の自宅 アトリエを「Salon de 酔鯨館」として公開しているとのことでした。
梶原景時の屋敷は、明王院手前の路地を入った所にあったと伝えられ、梶原景時が上総介広常を討った後、この湧き水で太刀の血を洗い流したという伝説が残されている。梶原景時の邸があったと見られる近辺の祠と井戸。井戸は「梶原井戸」と呼ばれている。
梶原井戸を後にし、一遍上人が開いたとされる光触寺に向かい、鎌倉にも運慶作と伝わる仏像が数多く存在するが、運慶の真作として確認されているものはないが鎌倉の中で一番運慶の特徴が出ている阿弥陀如来像を拝見することが出来ました。
頬焼阿弥陀と呼ばれている阿弥陀如来のいわれは
「仏師運慶は、町局(まちのつぼね)に招かれ阿弥陀如来像の製作を依頼された。
そして、完成した像に町局は喜び日夜供養を怠らなかった。
局に仕えていた童女は信心深く念仏を唱えることに腹立ちて、女童の頬に赤く焼けた銭をあてた。女童はそれでも念仏唱えた。翌年、局が阿弥陀仏を拝むと、弥陀の頬に銭の火印があり、女童には火印の疵は見えず、局は阿弥陀如来が女童の身代わりになったのだと悟り、阿弥陀如来像を修復しようとするが頬の焼印は消えなかった。」と伝えられている。
光触寺を後にし、鎌倉七口のなかでも最も古道の姿を残している朝比奈切通は前日の雨で少しぬかるんではいましたが鎌倉時代にタイムスリップしたような趣のあるなか、朝夷奈切通の岩肌から湧き出る鎌倉五名水の一つで、梶原景時が上総介広常を討った後、この湧き水で太刀の血を洗い流したという伝説が残されて太刀洗水(昔は飲むことが出来たそうです)三郎の滝、石切場、石仏などを見ながら、横浜横須賀高速道路を抜け六浦方面へと降りて今回の歴史ロマンウォークを無事終えました。
古都鎌倉には史跡、遺跡など関する石碑がおよそ80余基あるそうですが鎌倉青年会、青年団、鎌倉同人会(大正6年発足) の人たちが資金を出し合って建てたものです。